Loading...

"あのとき"から、"今"

「もうバンドやらんかも」と思う瞬間が25歳の時にあった。その時は長野に住んでて会社員だったし、未来を考えた恋人もいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

前にやっていたバンドのメンバーが全員抜けて、1人ゆる〜く弾き語りしていた時があった。

 

 

同じ時期にBray meがvo.gt.こたにとdr.ありさの2人になった。当時スリーピースで活動いていたBray meのベースが抜けたのだった。

 

 

こたにから電話を受けた時は会社終わり車に向かう最中だった。

 

そのとき超ノリで「ベースじゃないけどギターなら弾くよ」と言った。翌日こたにから「やってくれないか?」と連絡をもらった。ベーシスト決まってないのに← と2人でめちゃ笑った

 

 

そんなこんなでサポートとしてライブをした。ライブ後に、こたにとありさが正式にメンバーに誘ってくれた。

 

 

その時の2人がなんか可愛くて、JKがバンド発足する時のようだった。

 

 

2人で私に会うためだけに、東京からハイエースに乗って来てくれた。ライブのついで、とかじゃなくて、目的が私だった。

 

 

そんなやつらかっこよすぎだし、信頼できるのこの人たちしかいないと思った。(ぶっちゃけ何度か都内のバンドに誘われたことがあったけれど、ここまでしてくれた人たちはいなかった)

 

 

1ヶ月考えさせてほしいと時間をもらった。なんせ地元が田舎が好きだし、ここでやっていく!と一度決めた気持ちがあったからだ。

 

 

そこで改めて、自分は自分の、死んだら終わりの一度きりの人生を、どのように生きたいか?すごく考えた。

 

 

その時に、当時の恋人が「アンリはギターを弾いた方が良い」と。「こんなとこで終わらせちゃいけない」といったようなことを言ってくれた。離れてしまうことをわかっていながら、そう背中を押してくれた。

 

 

両親には東京のバンドに誘われてること、悩んでることを謎に話せなかった。今までなんでも相談してきたお母さんにも言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

時は止まることがなく、私の中では常にどうしようフェスティバルが開かれていた。

 

 

どうしようフェスも一周する頃、「面白い方に転ばす」という天秤が頭の中に生まれた。

 

 

 

“地元で会社員やりながら当時付き合ってた人と結婚してゆるーく音楽する未来”

と、

“東京進出してバイトしながらBray meのメンバーとして本気で音楽に向き合う未来”

 

 

 

 

 

 

何を優先するか?
自分の気持ちだよな、と。
自分がやりたいことが最優先だよな、と。
だって死んだら終わりだもんな、と。

 

 

会社員をやってるのは安心感があったけど、どれだけ成果を上げても給料の上がらない制度に疑問しかなかった。なんならつまんねーなって思ってた。

 

 

 

いっそ「やったことないこと」やりまくって「住んだことないとこ」住んでみよう、だなと。

 

 

それから、東京からはるばる会いにきてくれた良い意味でアタオカな2人とバンドやりたくない?この人らとなら泥水だってすすれるし、なんかおもしろそうじゃない?と思うようになった。

 

 

 

 

天秤でいうと、後者でしょ!と思った瞬間だった。

 

 

 

 

Bray meとは盟友関係だったし曲はもともと好きだったけど、私は曲よりも、Bray meの2人のストレートなとこに落ちた(笑)ので加入を決めたっちうわけでした。

 

 

まだ大事にすべきことがよくわかってなかったけど、バンドやりたい!という気持ちではなく、誰と?って部分での決断が大きかったなと思う。

 

 

(もしバンドやめちゃった人がこれを読んでるなら、次にやるバンドは”誰と?”で決めてみるのもアリだよ、と思う)

 

 

答えは決まっていたはずなのに、悩んでいた1ヶ月はどこか目を逸らしていただけだったな、と今では思う。

 

 

恋人に話した時は2人で泣いた。喜ばしいことだけど、離れてしまう切ない気持ちももちろんあったから。

 

 

 

両親に話したのは上京を決め、会社に退職届を出した後だった。お母さんとめっちゃ泣いた。

 

 

 

 

ありがたいことに、私の両親はアンリのやりたいことをやりなさい!といった感じで、私が選ぶ”やりたいこと”に対して否定することがなかった。

 

 

(お母さんは箏の大師範なので、箏の道に進んでほしかったみたいなとこはあっただろうけど…笑)

 

 

 

 

 

だから私も人に対してそうあることができたのではと思ってる。この心を持てたのは両親のおかげだなぁ。

 

 

 

当時付き合っていた人とは上京してから1年半ほどで別れてしまったけれど、後悔はありません。長い年月を共に歩んだけれど、あの時背中を押してくれてありがとうと思ってるし、今ではその人の幸せを願っています。

 

 

あんなふうに言える人って、なかなかいないと思うから。あの人のことを好きな自分で良かったって心から思う。

 

 

 

 

そして今、Bray meがやっぱりめちゃくちゃおもしろいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冒頭でゆる〜く弾き語り活動をしていたと言ったけれど、その時に現ベーシストのSAKKOに出会いました。

 

 

 

 

つまりみんな違うバンドやってたんすよ。

 

 

 

 

でも今は1つのバンドを、Bray meというバンドを同じ気持ちでやっている。

 

もともと好きな音楽もバッラバラなんだに。

 

 

違う、ということをバンド内で肯定している。だから余計に、Bray meという音楽自体が君のことを肯定しているのだと私は思う。

 

 

弾き語りをやっていたあのときは、メンバーがいなくなって心がここにないような気持ちで、ただ淡々と生きていた気がする。けどあの辛い時がなかったらブレに誘われることもなかっただろうし、サッコに出会ってないし、今関わってくれてる人にもお客さんたちにも出会ってないと思うとすごく不思議なんだけど、、

 

すべてはつながっているんだなと感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから4年。ちょうど今日で上京して4年。

最近の話をします。

 

 

先日のクアトロで発表もあったけど、Bray me自主レーベルでありチームを発足しました。

 

その名も「NottDagr」(ノットダグ)!

 

 

蔵前レコーズにサポートしてもらいつつ、引き続きワイクンネオンにお世話になりつつ、みんなで面白いことしていきたいなと思ってます。

 

 

当たり前ですが自分たちのためのレーベル&チーム。ブレイミー面白い!と力を貸してくれる人がいたり、一緒になって考えてくれる人がいたり、、すごくありがたいことだし面白いなぁって思ってます。

 

 

6月には自主レーベルよりミニアルバムをリリースしますし、ツアーもやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もうね、このブログ読んでくれた方は気づいてるかもですが、こたにのうたうウタは、見せかけとかないっすよ。真正面からちゃんと向き合ってくれる人間がつくるウタ。嘘がない、とゆうこと。

 

 

私の知る限り、こんなに音楽な人いないし、人生と書いて音楽と読む人っていない。

 

 

うたう人がこたになので、こたにのことばっか書いてますけど、ありさとさっこも私からしたらカッコいい人間たちで(みんな知ってると思うけど)、だから音で伝わるものがあるのだと、メンバーのくせに思います。

 

 

メンバーをただ褒める会みたいになっちゃってるけど、こんなふうに凛としてる人たちってなかなかいないから言ってるだけ。

 

で、そのカッケー人らと一緒につくってる音楽を、しっかり届けていきたい!

 

 

むちゃくちゃ良い音源ができたんですよね。

 

 

またもや全部イケメンじゃねぇか…とゆう。

 

 

だからこそこれを読むみんなの、隣の隣あたり?にいる人にまでしっかり届けたいと思う。

 

 

そのときは、みんな、よろしく頼みます。(ほんとうに)

 

 

 

詳細はこれから出るので、楽しみに待っていて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、

 

 

 

 

“あのとき”があって”今”

 

 

 

 

あのとき面白い方に行こうと決意した私へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まじで面白いことになってるから安心してな、

と言ってやりたい戯言ブログでした。

 

 

 

 

 

すこやけく〜〜〜